こんばんは、すきーやです。
今回はペットロスな話ですので、耐性の無い方は、『そっとじ推奨』です。
2022年5月22日9時20分、私の大事な家族のこーや(猫)が亡くなりました。
19歳2ヵ月でした。人間の歳に換算すると92歳ぐらいなので、平均から見れば長く生きた方かな。
ずっと病気治療をしていたので、ここまで長生きしたのは良かったですし、このままもっと長生きするなと思っていただけに、まだこーやの死を受け入れられていない状態です。
記事に書こうか、止めようか、悩んでいたのですが、昨日の事で少し吹っ切れた事もあって、気持ちの整理とこーやとの思い出を忘れないように書き留めておこうと思ったのです。
こーやとの出逢い
こーやと出会ったのは19年まえ。嫁さんとつき合いだして2ヵ月ぐらいの頃、嫁さんとはご近所さんだったので、毎日一緒に帰って、嫁さんの家の近くの公園で話をしたりしていたのですが、近くで猫の鳴き声が聞こえたので、辺りを探すと駐車していた車の下にいたのがこーやでした。
こーやを見つけて、捕まえたのは私。
2003年6月6日のことでした。
嫁さんはその場で、うちの子にする!って言ってそのまま連れて帰りました。
逃げたりせず、すぐに嫁さんに懐いたので、一気に愛着がわいたそうです。
ガラケーの写真なのでかなり粗いですが、現存するこーやの一番古い写真です。
2003年6月8日嫁さん撮影。
元々嫁さんの家には友達と2匹の猫がおり、3匹目の住人として一緒に住むことになりました。
ガラケーのカメラなので解像度低め。
でも貴重な写真です。
おなかポンポン
ペットボトルと比較
3匹の猫のうち、こーやと黒ねこのたいきが嫁さんの連れ子で、白い子は嫁さんの友人とともに愛媛に嫁いでききました。
嫁さんと結婚後からたいき、こーやとの同居生活が始まりました。
結婚直後の写真です。1歳5ヵ月ぐらい。
たいきは嫁さんに懐いて、こーやは私にも懐いてくれる。そんな関係です。圧倒的に嫁さんなのは仕方がない。
ただ、数年もするとたいきは比較的に私にも懐いてくれました。寝るときは私の腕枕でしたから。
たいきとの別れとこーやの病気
2014年8月15日はたいきが亡くなった日です。その年の2月から後ろ足で立てなくなり、病院に通い続けましたが、二人の目の前で息を引き取りました。流石に初めての事でしたし、思い入れもあったので、いわゆるペットロスが5ヵ月ほど続きました。あの時は堪えました。
その時の後悔とかで、こーやの病気には悔いが残らないようにしてた気がします。
ちょうどたいきが亡くなる1週間前に、こーやを猫ドックで検査したところ、甲状腺ホルモンの異常がみつかり、甲状腺亢進症と診断されました。
たいきが元気だった2014年1月。ツーショット。
当時の闘病記録
甲状腺亢進症とは
甲状腺からホルモンが異常に放出されることで、元気になりすぎる病気です。
元気なら良いじゃない。ではなく、過剰に元気なので、内蔵とか心臓に負担がかかるので、発症すると平均余命は2~3年とか。
ホルモン量を抑える為に一生食事や投薬が必要になります。甲状腺を手術で取ることも出来ますが、逆にホルモンがでなくなるので、投薬は必須になるそうです。
食事療法でスタートするのですが、多頭飼いはその餌だけを食べさせるのは難しいので、程なくして、投薬に変更しました。
薬が効き過ぎると腎臓に負担がかかるので、高すぎず、低すぎずと数ヶ月ごとにホルモン量を検査して投薬量を調整する必要がありました。
そんな生活が7年ですが、朝は私があげて、夜は嫁さんと分担していたので、亡くなってから毎日のルーティンが無くって、ぽっかり状態です。
こーやとの18年
猫の寝顔って癒されるんですよね。
爆睡すると、嫁さんが口の中に指を入れても寝てます。私がやってもダメですが。
人なつこいこーや。他の子はびびりですが、こーやは宅配や工事の人とか来ても一番最初に出てきます。猫より人が大好きなこーやです。
こーやが猫たちと一緒にいることは余りなく、こーやは猫たちといるより、嫁さんの近くにいることが優先されてました。
ただ最近は猫たちと一緒にいることが増えてた気がします。
旅行の時は、ご飯山盛りで出掛けるとちゃんと少しづつ食べてくれます。
旅行から帰ったときやお正月、クリスマスなどは、猫缶がもらえるのでソワソワしてます。
最後の1ヶ月
体重は年はじめには2400gあったのですが、最近は少し軽く感じてました。
ここ半年は嫁さんに抱っこされるのがお気に入りで毎日何度か抱っこしてとねだってました。
私には来ないのですが・・・。私が抱っこしても10秒で離れていきます。
4月の中頃には2235gになり、少し体重が気になりだしたので、少しでも食べるようにかつお節をかけたり、ちゅーるを頻繁にあげたりして少しでも食欲がわくようにしていたのですが、
5月になり、少しずつ体重が減るようになってきました。流石に2000を切るとヤバいだろうと、ご飯を食べさせるように仕向けたり、こーやが食べそうなご飯を何種類か用意して食べさせたりしましたが、2160gまで減ってきました。
翌週、猫ドックの予定を入れてホルモン量の検査だけしました。先生も歳も歳だけに、やれることは無さそうな感じでした。
その後も、ご飯は毎日食べさせているのに、毎日30g~50gづつ減っていくので、1800gになったタイミングで、たいきの時を思い出して栄養価の高いadを手配して、強制給仕を始めました。
起きている時、1~2時間おきに15gぐらい?それでも体重が減っていくのを見ててもどかしかったです。
亡くなる3日前ですが、普通な感じでした。
このあと、こーやの様子も変で、反応が悪かったり、ちゅーるも半分も食べれなくて、ソファやベッドの上ではなく、板間とか、玄関で横になることが増えてました。
朝も廊下で横になってると、まさかと思って心音聴いたり、呼吸でお腹が動いているのをみてホッとする感じでした。
この日も廊下で横になってて、呼吸が弱かったので、薬を飲ませてずっと見てると、小さなしゃっくりのような動きがあったので、嫁さんをたたき起こして、病院に連絡して今から行くように準備している間に息を引き取ったようです。
体重も1600gに減ってました。ホント急に痩せていったなぁといった感じでした。
この写真は8時58分ですが、病院に連絡している9時20分位に亡くなったようです。
苦しむこともなく、寝ているように息を引き取ったようで、気づきませんでした。
ケージに入れようとして、お腹が動いてなかったので、心音聴いてもきこえなかった。
たいきのことがあったので、人口呼吸の仕方を調べておいたので、人口呼吸もしたがダメだったようです。
先生に見てもらいましたが、やはり亡くなってました。
このあとは、そのまま動物の葬儀屋さんに連絡を取ったら、午後一なら空いてるということで、その日のうちに火葬しました。
ほんと元気だったのが、あっというまに亡くなったので、悲しむ暇もなく、いまだ亡くなった感じがしない状態です。
いわゆる初七日は過ぎましたが、私は信仰があるわけではないので、たいきもお墓にはいれず、遺骨と一緒に住んでいます。
思い出の場所へ
先日、こーやと出会った公園に行ってきました。嫁さんが、『あそこに行ったらこーやに会えるような気がする』というので、行きました。
19年前と変わっていない公園。
ちょうどこの辺に止まっていた車の下にいたこーや。残念ながら、こーやは居ませんでした。
嫁さんが『NNNはなにやってんだー!』というので、NNNの事を聞いたら、ねこねこネットワークというらしいです。
そうすると、白い猫が嫁さんの近くに。
カリカリやちゅーるで釣りますがなかなか警戒心が高いです。
30分ぐらい睨み合って徐々に警戒心が無くなって、無事餌まで来ましたが、地元の人が近づいたので、逃げてしまいました。NNNではなかったようです。
そうしている間にも、もう一匹が登場。
こちらは更に警戒が高く、近づきかけると、ぴゅーっとどっかに行ってしまいました。
残念ながら、NNNはまだ活動をしてくれていないようです。嫁さんも諦めて帰ることに。
自転車で近くを走るときに会いにいく猫に会いに行こうって、嫁さんを連れて行きました。
地域猫のようなので、連れて帰ることはありませんし、この子もこの場所が気に入ってるようで、帰ろうとすると、普通に見送ってくれました。
嫁さん曰く、この子はうちには来ないよ。と。
猫を見る目は確かな嫁さんだなと思った週末でした。
でも、嫁さんはこーやが帰ってくるのを楽しみにしているようです。
そんなところも、ペットロスが軽い理由なのかなと思ったりしました。
たいきの時は、沢山のタラレバがあって後悔もしましたが、今回は後悔しないように、最善を尽くしたし、先生も甲状腺亢進症でここまで長生きしてくれたのは、こーやも私たちも頑張ったからですと言ってくれたので、なんかほっとした感じもあります。
残った二匹も、こーやが居なくなったのを感じるのか、いつにも増して、私たちに絡んでくれます。たいきが亡くなった時もそうだったな。
猫は飼い主の心を読めると思います。
またまだやんちゃなろくた(13歳)
私のお腹の上がお気に入りのりつか(13歳)
そんな感じ。ありがとうございました。