こんばんは、すきーやです。
シルバーウィーク後半戦に東北3県を回ってきました。これまでのお話はこちらから。
さて、雨の松山を堪能したところで、今日は三陸海岸まで行くため、先を急ぎます。
三陸沿岸道路とか、登米志津川道路とか、南三陸道路とか国道45号線とか色々な名前がついていますが、無料の自動車道路です。
今から向かうのは南三陸町の道の駅『さんさん南三陸』の『南三陸さんさん商店街』です。紛らわしい。
ふと視界に『合格祈願オクトパス神社』とあったので、調べたら地元名産の蛸に掛けてオクトパス=置くとパスということらしい。
ちょっと興味があったけど時間もなかったので見送りに。
南三陸さんさん商店街
道の駅さんさん南三陸にある南三陸さんさん商店街です。
元々街があったエリアは津波で大打撃をうけ、民家は山の上に移ったため、仮設施設で商店街を作って、道の駅にして観光客を誘致した感じかな。商店街というだけあって街の電器屋さんや、床屋なんかもあります。
真ん中はフードコートのようになっており、お店に入れない時やそれぞれのお店で違う物をオーダーしたときに利用されていました。
どこにでもありそうな物か、今日は購入しづらい海鮮関係のため、殆ど買えずです。
先ほどのオクトパスの置物も販売されていたした。
これは長野の友人の長男が今年大学受験のため購入しました。
モアイ像
この南三陸さんさん商店街のはずれにモアイ像があります。
このモアイ像、イースター島の石でモアイ像職人が作った本物のモアイ像です。
目が入っているのは世界で2体しか存在しない貴重なもの。
1960年のチリ沖地震から南三陸町と関わりがあり、津波で前のモアイ像が流されたため、チリから送られたものだそうです。
www.town.minamisanriku.miyagi.jp
何だか偽物ぽい雰囲気があり、日本各地にもモアイ像がありますが、ここのはホンモノでした。
かいせんどころ 梁
ここに寄った一つの目的はお昼ご飯です。
店内はカウンターと4名テーブルが少しと奥に座敷があるようでした。
私達が入った時は待ち時間なしでした。
地物の名物のオクトパスことタコ刺しです。
吸盤がコリコリして美味い。
嫁さんは南三陸きらきら秋旨丼
私はまぐろ海鮮丼。2800円なので、まあ相応といえば相応。
当然ネタは美味しかったけどお米がいまいちかな。
さてお腹も膨れたところで、ここに来た一番の目的です。
南三陸町の震災遺構
南三陸町は東日本大震災の津波で壊滅的な被害を受けた場所。
ニュースでも散々報道されていて、その後の復興についても報道され続けていた場所です。
南三陸さんさん商店街の裏手に川があり、その対岸の向こうに震災遺構が有ります。
次の世代に震災の凄さを伝えていくという震災遺構、ここで亡くなった方を追悼するためにも行かないとねと思って来たのですが・・・
ここで一番有名なのが、南三陸町の防災庁舎です。津波が迫る中、ギリギリまで避難放送を続けていたという場所で、想像を超える津波がきて多くの方が亡くなったところ。
下の写真の右側の鉄骨の建物が、その防災庁舎です。
この場所にメモリアルとして南三陸町震災復興祈念公園として整備されています。
南三陸旧防災対策庁舎
これが今の防災庁舎の姿。3階建ての庁舎は1フロア4mのため、屋上で12mあり、津波の高さは6mと思われていた(過去の津波)ので屋上に避難すれば大丈夫と思われていましたが、ここを襲った津波の高さは16.5m。
50名以上いた人のうち、屋上のアンテナまで上がった人と手すりに捕まって耐え切れた人の10人だけが助かったそうです(一人は別の場所に流されたが一命を取り留めた)
手すりがひん曲がっていますが、ちょっと綺麗にされているので、遺構という気がしませんね。
病院があった所は解体され広場に。遠くに見える白い建物は結婚式場の遺構だそうです。
不謹慎ですが、これみた時に『なんかテーマパークみたいになってるなー』という感想。
ちょっと想像したものとはかけ離れている感じでした。
遠くにあるのが、祈りの丘でこの高さが16.5mで津波の高さだそうです。
多分もっと近くにあると気軽に行くだろうし、防災庁舎が安全ではなかったと感じるのにねと思った次第です。
中橋(なかはし)
南三陸さんさん商店街と南三陸町震災復興祈念公園の間の川に架かる橋が中橋です。震災以前は生活橋たったものが、公園の整備に併せて架け直しされたものです。
橋の上から写真を撮ってたけど、肝心な橋の写真を撮ってなかった。
あまりにも、震災遺構とはかけ離れていたので、なんか違うって事で無視していたのです。
それよりも、堤防を10m以上上げて巨大なコンクリートななってるのが衝撃的でした。
そして柵もないので、踏み外すと川まで転がり落ちるよねって。
南三陸311メモリアルと隈研吾氏
南三陸さんさん商店街の隣に新しい施設が建設中でした。ここから先は立ち入り禁止でしたので詳しくわかりませんが、震災の記録を残すような施設の様です。
そして10月1日にオープンしたとニュースでやってました。そういや看板にも書いてありました。
なんとなく建築家の隈研吾氏ぽいなと思って調べると、やはり隈研吾氏の手掛けたものでした。
この施設だけではなく、南三陸さんさん商店街や中橋、この南三陸311メモリアルのセットで隈研吾氏が関わったようです。
南三陸町の今と今後
復興が進んだ南三陸町ですが、震災遺構は正直思ったものではなく、テーマパークの様相を呈していました。
テレビなどでも報道されていましたが、山の上に宅地を造成して移り住んでといった流れの様ですが、海とともに生活されていた人達は中々受け入れられないとか。
これってこの地区だけの話ではないので他は?って気がするんですよね。まあ、国がやることなんでこうなんでしょうが。
平地には新しくなった警察署や消防署が盛土として建っていますが、他の場所は原っぱだらけの街全体が公園みたいになってます。
他の震災遺構の街はどうなんでしょうか。
今度行くなら、もっと下調べしてから行かないとなって思った次第です。
この後は大船渡市に向かいます。三陸沿岸道路はナビに載ってないので、ひたすら道なきルートを走ります。
そんな感じ。最後までお読み戴きましてありがとうございます。