こんばんは、すきーやです。
今日は珍しく兄弟猫が一緒に寝てました。珍しい。
今日はちょっと1人語りです。スルーして貰ってよいです。
1985年の出来事
40年前の話です。私が専門学校に通っていた頃、同級生を通じて私が『師匠』と呼んでいる先輩と、その後今もつき合いのある何人かの友人の出会いがありました。
<師匠>
師匠は専門学校の助手と呼ばれる、先生のアシスタントをされていました。授業がない時は学習のためにコンピューターを利用することが出来たので、課題をどんどん進めたり、自分なりにカスタマイズしたりして、スキルアップをしていたのですが、この辺から師匠との関わりが始まったんじゃないかな。
その後、プライベートでも交流を始め、お互いバイクを乗っていたので、ツーリングに行ったり、ツーリングで私の実家に呼んだり、師匠の自宅で頻繁に夕ご飯をご馳走になったりと、かなり親密な交流をさせてもらっていました。
技術的なスキルも高く、 趣味や興味のあるものが似てて、知識も豊富だったので、私も色々と博識が付きました。
師匠の『知識の押し売りNHK』というフレーズがはまって、私も口癖になったりしました。最近はNHKの押し売りは悪いイメージですが、当時使っていたのは良い意味でです。
自衛隊の航空機や装備品に興味が出たり、詳しくなったのは、師匠からですし、ゲームなんかも師匠の影響が少なからずあったと思います。ファミコンのドラクエを始めたのが師匠から教わってですから。
私のハマったらトコトンこだわる。流行には飛びつかないむしろ真逆。の考えは師匠の影響かな。
師匠は私が2年で専門学校をやめて、システムハウスを仲間うちで創業する際に、ジョインしてもらいました。師匠は別案軒で長期派遣出張で私は事務所でプログラミングという日々でした。
その後は、お互いに会社をやめ、別々の進路を進みますが、ITが絡んだ仕事でしたので、1999年の2000年対応の際、にっちもさっちもいかない案件の時に緊急召集して、さくっとプログラムを作って貰って、無事2000年を迎えることが出来たのが、端からみたらスーパーマンでした。
この時は上司に話をして、ちゃんと有償でやって貰いました(破格でしたが)ベンダーからは大した内容でもないのに、2千万ほどの見積が出ていましたが、師匠は2週間と2回の現地訪問(納品とその時にでた改修要望)でその後、安定稼働して廃棄するまで何のトラブルもなく稼働しました。それで数十分の1のコストでしたから。
師匠を語るとエンドレスになるのでこの辺で(笑)
そういう師匠とは年賀状のやりとりは続いていましたが、ある時、宛名不明で戻ってきたことがあり、その辺から連絡が希薄になった気がします。
<同級生K>
Kとは同じクラスで、住んでるアパートも同じでした。このアパートは専門学校が紹介してくれた所で、いわゆる賄い付きのアパート。3畳一間から20畳ぐらいある部屋まで多種多様な雑居アパートでした。
賄い付きなので、朝や夕食の際は、集まってくるので、自然と会話があり、実は同じ専門学校だったり、同じクラスだったりと、10人ぐらい知り合いがいました。
そこにいたひとりです。
彼とは、専門学校を出てからはほぼ交流がなくなりましたが、20年ぐらい前にFacebookから縁が復活し、昨年広島で再開を果たすことができました。
https://www.myholiday.site/entry/2024/06/24/000500
<同級生I>
こちらは専門学校で同じクラスで趣味のあう友人でした。北九州出身の彼は色々と熱いです。
彼とはこちらは年賀状とFacebookの繋がりで、私がIT系のイベントで講演するときも来てくれたりしていたので、何度かいっしょにご飯を食べたりです。彼は仕事の関係で日本各地に行ったりしているので。
彼の嫁さんは私の同郷で同じ英会話教室に通っていた方です。大阪で飲んでるときに、ひょんな事で合流したら、そのまま引っ付いたという(笑)
彼とは、システムハウスを創業する際に後から加わったメンバーのひとり。私が辞めた後も少し残っていましたが。その後もIT畑のエンジニアやコンサルに居たので、ちょこちょこと交流が続いています。
<同級生A>
こちらは、専門学校の同じクラスの同級生。専門学校生のクラス内ってそれまでの経験や将来とか、色々な人が集まっていました。特に私がいたクラスは私を始め特殊なメンバーが集まっていました。
大学生から専門学校に来る人、ハッキングを得意とする人、商業科で簿記1級持ってる人、コンビニを0から始める人、地域で分かれるグループなど。そういったもので複数のグループが形成されました。
その中で明らかに、私とは縁がなかった人がこの同級生Aだったと思います。彼と交流が深まったのは、学園祭の出し物で一緒にやったことがきっかけだったかなと。
この時、先生と有志で『人工知能の展示をしよう』と言うことで、募集したら30人ぐらいのメンバーが集まったと思います。上に書いたクセの強い人達で(笑)
今みたいにChatGPTとか存在もしていなかった時代、Prologなどの人工知能言語などを使って、たしか競馬の予想や性格診断みたいなのをやった記憶があります。
この時の担当していた先生とこのメンバーのAとでシステムハウスを創業する流れになりました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/Prolog
お互いの実力が解ったことで、Aとこれ二人で会社作っていけるんじゃね?みたいな議論を交わすようになり、会社設立のための手続き調べたりしてました。そこに先生が加わってきた流れです。
Aとは会社を辞めてからは少し疎遠になってました。前の会社を電撃で辞めてからは、ほぼ交流もなくなったのですが、これもFacebookで復活。ただ彼はほぼFacebookやらないので、メッセンジャーで数度会話した程度でした。
召集通知
前置きが長くなりましたが、10月のある日、珍しくメッセンジャーが届きました。
広島の同級生Kが大阪に来るとのこと。それでIと飲もうということに。じゃあ1泊してと大阪のホテルを調べると、万博も終わっているのに、ホテル代がとんでもないことに。そんな訳で日帰りで計画。

ひとりで大阪に行くのであれば、かねてから気になっていた、師匠と会えないと模索。
ただこの時点では電話番号わからない、メールアドレスわからない、携帯などもわからない。Facebookは数年前にヒットしたので、申請して繋がってはいるが、更新がないので、たぶん見ていない。
ここで考えたのは、古い年賀状を探して、Google Street Viewで住所検索して見てみると、表札に見覚えのある名前が!!
はやりこの場所に住んでいるんだと確証。そして、『よし!お手紙書こう!!』と。
葉書にすれば、本人が見なくても、家族の人が気付くかも?と、郵便局で葉書買ってきて、メールやLINEはID読み辛かったら、間違えるかも?と、LINEのQRを印刷して貼り付けて、投函!
この時、予定の日まで1週間。出張や旅行に行ってると詰みなので、祈るしか。
そうすると、見覚えのないLINE(師匠とわかるキーワードとかなし)から、いま話せる?っと。たぶん師匠だよな、と思っていたので、返事しましたが、知らない人のLINEとがだと墓穴を掘ってるパターンです。
そして、30年ぶりで1時間以上話混みました。そして、大阪にいく土曜日はOKとのことで、つもる話はその時にと。
同級生KとIには師匠も合流してよい?と領海貰っておきました。
そうなると人間欲がでるので、同級生Aも呼べんかなと。
彼とはFacebookで繋がっていましたが、ここ10年近くは更新もなし。ただ、個人でペット関連の商売をしているので、住所とメールアドレスは聴いてありました。
そしてメール送信!
2時間ほどで帰ってきたのですが、ぞの日は仕事が入ってて行けないとのこと。じゃあ、またの機会に師匠交えて会おうという約束を。残念でした。同級生Aもくれば、システムハウス創業メンバー揃い踏みだったのですが(先生以外)
大阪に向かいます
そして当日です。お昼過ぎに師匠と約束して11時前の新幹線を取っていたのですが、時間もあるしこんな機会だから昔住んでた所を見てこようって事で1時間早く向かいます。
新大阪着。なんか人が凄いんですが。大阪万博終わったのに、なんだこれは・・・

まず1つ目の目的地は、大阪に出てきて初めて住んだ、賄い付きのアパート。さすがに当時のアパートは残ってないよねと、事前にGoogle Street Viewでみているのですが、やっぱり肌です感じたいなと。場所は大阪空港のある豊中市の庄内。
ルート検索すると大阪まで行かずに近道があった。
と言うことで、御堂筋線で一駅の西中島南方へ移動、阪急に乗り換えて十三へ。
十三から阪急宝塚線で庄内へ。
『雲雀丘花屋敷』初見では読めません。読めますか?

『ひばりがおかはなやしき』です。
38年ぶりの庄内
庄内には1年だけ住んでいました。賄い付きは最初は良いのですが、バイトとかを始めると時間的に食べれない日が増えてきて、なかなかもったいないなと。そんな訳で、多くの同級生は1年で出て行きました。
このあたりは、比較的物価も安かったです。こちらは東側駅前商店街。少し閑散としています。
肉屋さん。ここの店頭で販売していた、コロッケとメンチカツはよく買ってました。安くて美味しかった。
昔住んでいた、三和荘という巨大アパートの跡地にはマンションが2軒建ってました。
増築・増築していた様で、ダンジョンのような通路と部屋は複雑になってました。
ある同級生の部屋はドアが2つあり、西側と東側と出れるようになってました。
隣にはパチンコ屋さんがありましたが、今は駐車場になってました。私が住んでいたのは、右端の黒い車の辺りの2階じゃないかな。

Google Mapで上から。入口は西側から入るようになってました。

そしてこの位置は、伊丹空港のアプローチ上にあるため、頻繁に飛行機が通過します。そのため窓は二重サッシで夏は窓を開けると、かなりうるさいです。

ANAのB787が来ました。すぐ上を通過します。この辺は着陸ルートのため、今は知りませんが、私の居た頃はNHKの受信料が半額だったり、二重サッシにする工事費も負担してるとか。

庄内駅西側にはアーケード商店街があり、この先にダイエーとか衣料品のキリンドがあって、重宝しました。

十三へ
庄内から十三はへ戻ります。
庄内から引っ越した先は西淀川です。国道2号線沿いで、最寄り駅は阪神電鉄の姫島か、JRの塚本です。ちょうど真ん中辺りなので都合の良い方を使ってました。2年目からはバイクに乗ってたので、電車の機会は少なかったです。そこは変わってなかったのと、時間も掛かるので今回はパス。
大阪の最後の住処に行きます。
場所は十三と西中島南方の間です。
十三から新大阪まで移動するつもりでしたので、シェアサイクルを利用。

当時住んでいた賃貸マンションへ。ここはちょうど出来たばかりでした。なので、築35年ぐらいでしょうか。
バイク通勤でしたので、駅からの距離はあまり気にしてません。安さ重視でした。特に保証金。大阪は敷金・礼金ではなく、保証金として家賃の10ヶ月が相場です(でした?)
ところが、この物件は建てるのに住宅金融公庫を使っていて、この場合、保証金は6ヶ月にしないといけないらしいです(当時)
こちらの3階が住んでいた部屋。
今は無くなってますが、ちょうど窓の外の高さにローソンの看板があり、夜もライト付けなくても明るかったです。
この向かいにはやっすいたこ焼き屋があっておばちゃんが作ってました。残ってないかなと少し期待していましたが、やはりありませんでした。
マンションの名前が変わっていたと思ってましたが、昔の年賀状探して住所みたら、かわらずチェリーヒルでした。そんな名前だったんだ。でもここは8ヶ月しか住んでいません。過去最短ですね。正直あまり記憶がありません。
新大阪へ
20歳の頃に創業メンバーで借りた事務所。20坪で20万位だったと思います。新大阪にしては少し割安。4月6日に開設しましたが、私は9月末で退職。この辺の話は長くなるので、機会があれば。
半年ですが、人生で一番仕事したかも。ブラック企業もホワイトになるぐらい。リゲインのCMの『24時間戦えますか』の通り、24時間事務所にいて、睡眠3時間ぐらいで3ヵ月詰めてましたから。それは思いででもあり、自信にもなりました。

流石に40年近く経っているのでリニューアルなどしているのでしょうが、そのままでした。
このビルの9階でした。
目の前にはお寿司屋山があり、良く社長がバッテラを差し入れてくれました。バッテラの美味しさに目覚めたのも、ここで師匠に教わりました。こちらのお店も残っててちょっと感動です。
たかうち珈琲店
師匠との待ち合わせはこちらのお店。
新大阪で仕事していた当日、仕事の合間にコーヒー飲もうというとこちらへ通ってました。
私は転職後に来るのは初めてなので、こちらも38年ぶりとかそのぐらい。お店は移転しています。マスターは当時のまま。同級生Iはその後も頻繁に来ており、この前日にもきて、今日は私が待ち合わせにくるかも?って伝えていたそうです。
マスターはなんとなく、面影が・・・と言ってましたが(笑)

師匠は少し遅れるとのことで、じゃあピザ食って待ってます。と伝えたら、5分もせずに到着。えっ?なんで??
と、思ったら、『○○くんの行動を制限したくなかったので、遅れるからゆっくりして貰おうと思って』と、流石師匠の気配りでした。
早い新幹線で大阪に入って豊中とか見てくるので12時合流を13時にしてもらってたんです。
ここから次のお店に合流するために16時30分までがっつりと昔話をネタに話し込んでいました。
ちゃんとコーヒーもお代わりしました。他のお客さんも結構居座っていたので、そういう感じのお店だと思います。
話の内容はお互いの仕事とか、師匠は一匹狼でSES的な仕事をやっていたそうです。少し前に引退されたとのこと。お子さんが3人居て上の二人も仕事されているそうです。
ご長男もIT業界に入ったそうで、血だよねーっと。
ちなみに奥様はUCバークレーのコンピューターサイエンス卒というすごい人で、結婚前にお家に伺った際に卒業の写真が飾ってあってすごい格好えかった。そりゃ、こっちの道に進むよね。
そんなこんなで、今後も定期的に会おうよって話になりました。16時30分になったので、合流先の梅田に向かいます。
ちなみにここは、食べものも評判良いです。クワトロフォルマッジオ旨かった。
炭焼きと日本酒 らんぷ
お店は同級生Iがチョイス。
17時15分集合でちょうど5分前に着いた。けど、他のメンツからは連絡無し・・・
とりあえず先に入ろうと言うことで、先に入って待つとしばらくして合流。
同級生Iと同級生Kはお昼から合流して串カツやに行って、当時流行っていたビリヤードをしてたそうです。
当時みんなマイキューを持ってやってましたから・・・
そして昔話に花を咲かせ、食べ物はあまり記憶無し。結構美味しかった。



お店からはドリンクラストオーダー90分、席は2時間とか言ってましたが、3時間半ほど居ました。
師匠は帰るのに2時間以上掛かるのでそこそこで退席。
左からK、I、私、師匠。
めっちゃ充実した時間でした。

お土産に名古屋といえばの、坂角ゆかりの金パッケージをみんなに。
また機会があれば、師匠とは定期的に会えるといいな。同級生Aも誘って。
最近は還暦前に古い友人などと縁を復活させることが楽しくて、意識的に行動しています。歳取ると昔が懐かしくなるのでしょうか。そんな感じ。
今回はめっちゃプライベートネタでしたが、最後までお読み戴きましてありがとうございます