こんばんは、すきーやです。
すっかり間が空いてしまい申し訳ありません。ちょっと仕事がいよいよ年度末のラストスパートになったので、ちょっと社畜モードになっていました。とりあえずひとやま超えた所です。あといくつ山があるのかな・・・
会社のPCは21時になると強制的にシャットダウンするので、終電までは頑張れないので、ある意味そんなにしんどい訳ではありません。
ここを乗り切って、次の旅行の糧にしています。
ベトナム旅行
2月に特典航空券でベトナム・ハノイとタイ・バンコクに行ってきました。到着日は取引先のオフィスを見せてもらい、ベトナムの郷土料理をご馳走して戴きました。これまでのお話はこちらから。
本日の予定
今日は2日目で一日中ハノイを堪能します。 翌日にはタイに飛びますので、実質この日がハノイを堪能する日になります。
ちなみにこの日も取引先の担当営業の『リン』さんが一日中アテンドしてくれます。
本日のルートはリンさんが、私がこういう所に行きたいとお伝えしたら、朝から夜までのみっちりスケジュールをつくってくれました。
2日目は朝7時に出発という二人だとまず立てない計画です(笑)
昨日の取引先の副社長との話の中で、視察できた日本の人は、ハロン湾や観光地に行くことが多いのに、なぜ私はこの日のルートのような所に行くのですか?と。
台湾とかもそうですが、観光地行ったりもしますが、それよりもその国の成り立ちとか歴史を知ることで、その国のことが理解できるからですねとか、そんな話をしていたら、えらく感動してくれたのが印象的でした。
そのお陰かこの日も結構いろんなところを連れ回って戴けました。移動はほぼ全てEVタクシーを手配してくれて、歩き疲れることはなかったですね。
お陰で効率的にポイントを回れたり、食べ物も迷わずおすすめを食べることが出来たので最高でした。
それでは2日目のハノイ編です。
ハノイの風景
ハノイはバイクが非常に多いです。原付ではなく、125CCとかのバイクでタンデムしてる人も多く、glabもバイクがあるぐらいですから、めっちゃ多いです。
そして行商?のおばさんをよく見かけます。フルーツとかはこうやって売りに来ることが多いそうです。
これどうやって運んで来たのか気になります。
Phở Gà Lâm
まずは朝ご飯にフォーを食べます。フォーとブンの違いはこっちに来てから知りましたが、フォーは麺を蒸してブンは麺を茹でるそうです。そのため家ではブンでフォーはお店で食べることが多いそうです。
リンさんから、豚・牛・鶏のどのフォーが良いですか?と聞かれたので、鶏のフォーは食べたことがないので、鶏にしたいと伝えると連れて来てもらったのが、このお店。ベトナム語の店名しかないので、ちゃんと読めませんがフォー・ガ・ラム?
初めてでは多分躊躇するお店。
火力はなんと石炭です。この左では鶏を捌いていました。台湾で茹でてるのは見慣れていますが、店頭で水でジャバジャバ洗いながら、捌いてそのまま料理しているのはちょっと衝撃的ですが、新鮮だなっと。
こちらが鶏のフォー。リンさんがお店の人との通訳をやってくれるのでなにも困らず・・・ホント助かる。
あっさりとした鶏のスープが旨くてあっという間に完食。鶏も新鮮だからか臭みと全くなし。
台湾でもよくある揚げパン。これをスープに浸して食べます。
唐辛子とか辛味とか。
辛味を入れて味変とか。この日のタクシー代以外は全部私持ちですので。金額だけ聞いてもらってお金出すだけですが。
朝ご飯をさくっと食べたので、少し早かったので、エッグコーヒーを飲みに行きます。
Cafe Giảng
エッグコーヒーの有名店。リンさんも昔からよく来ていたそうです。
1946年というと、第二次世界大戦後からって事ですね。そんな頃からエッグコーヒーがあったのかな。
店内は可愛い椅子とテーブルが。お店でも飲めますが、テイクアウトにしました。
ベースはエッグコーヒーですが、リンさんはラム?入りがお薦めですと。私と嫁さんはまずは基本ですよねとノーマルをリンさんがラム入りを。
こんなものもあります。
こちらがエッグコーヒー・アイスです。
コーヒー風味のミルクセーキみたいな感じ。そしてリンさんが持っていた、ラム入りも飲んでみてと渡されて嫁さんが飲んだら、ラムレーズンのアイスみたいでめっちゃ美味い。今回の旅で嫁さんのベストになりました。私も飲みましたが、確かにラムレーズンでした。リンさんは飲んでもらいたくて、ちゃんと確保してくれてたようです。流石です。
ただお腹に溜まるので、何倍も飲み続けるのはきついかな。毎日飲みたいコーヒーでした。
ベトナム軍事歴史博物館 Bảo tàng Lịch sử Quân sự Việt Nam
ベトナム戦争の記録を残した博物館です。昨年までは街の中心部にあったのですが、ここに引っ越してきたばかりだそうです。ここは私がリクエストしたのですが。
写真の左寄りにあるのがBー52の残骸です。これはベトナム戦争でベトナム軍が撃墜したBー52だそうです。
そして入口が分からずうろうろしていると、
この日は閉館日でした!!(泣)
ベトナムの軍事関連の施設は月・金がお休みでした。
ありゃりゃって事で、やってる博物館に変更します。
今回も軍事関連の博物館は行けなかったので、リベンジのリベンジのリベンジをしないとですね。またベトナムに来る必要が出来ました。
じゃあ博物館へそのままタクシーで移動。
移動中にでかいヒルがあり、ここがベトナムの国営テレビ局だそうです。
ベトナム国立歴史博物館 Bảo tàng Lịch sử Quốc gia
移動前に営業しているか確認して向かいました。
歴史博物館です。こちらともう一つあり、そちらはベトナム戦争の歴史とか世界大戦後の展示が中心とのことで、時間次第でどうするか考えましょうと。
正面玄関に学生さんの一行がいました。修学旅行?リンさんに撮影を頼まれました。
こちらがチケット売り場兼ショップでしたが、ショップはあまり商品がありませんでした。
入場料は40,000ドンでお金の感覚がバグりそうですが、日本円の変換は0を3つ取って×6です。すなわち、40,000ドンは40×6で240円です。そう思うと安いですね。
あと、ベトナムの施設はお昼休みが必ずあります。ご注意を。
多くのお店も50Kとか出書かれています。ラム入りエッグコーヒーは55K=330円
こちらが入ってきた玄関です。入口の左に女性用のトイレ、右側に男性トイレとロッカーがありました。
バッグなどはこちらに預けるように言われたのですが、鍵式のロッカーでした。
トイレは地下に降ります。なんか秘密基地ぽいです。
でもトイレは普通に綺麗でした。ベトナムも台湾同様にトイレットペーパーは流せません。
チャンパ
チャンパって何だと思わずググります。
チャンパ王国というのは、ベトナム依然の国名のようです。知らなかったですね。こういう発見があって楽しい。
チャンパ王国(チャンパおうこく、ベトナム語:Champa, Chiêm Thành / 占婆, 占城、192年 - 1832年)は、南ベトナムにあったオーストロネシア語(チャミック Chamic)およびオーストロアジア語(バフナリック Bahnaric、カトゥイック Katuic)話者たちの国。チャンパはもともと中国・漢帝国の南端(日南郡象林県、のちのウリク地方 Ulik)であったが、192年ごろ現地官吏の子の区連により独立した。
ベトナムは中国から独立したんですね。だから、あちこちに漢字が登場しました。
こちらはエントランスにあった椅子です。象なのが可愛い。
1階は主に石器時代からのもので、この辺は日本もベトナムもあまり変わりませんね。
スタンプの出土品。
こういったものの展示がありました。
この辺はあまり文化の違いは感じられません。
ベトナムは色々な民族・部族が集まる多民族国家です。
多い順に54の民族・部族らしいです。要所要所でリンさんが解説してくれるので、理解もしやすかったです。
こちらは2階です。
これはは死者を埋葬するときの柩だそうです。
古い資料には漢字のようなものが。本は中国からというのが、繋がりました。
この頃の出土品。お金は全て穴が開いてますね。紐を通してもちはこぶ為と理解しました。
これは太鼓らしいです。日本は皮ですが、こちらは金属製でした。ドラムですね。
外国が海から攻めてきたときの絵巻ですが、地の利を生かして、事前に尖った岩などを置いておき、干潮地に座礁させる作戦だったそうで、こうやって敵からの攻めを守ってきたそうです。
これは、その土地の領主に渡されたもので、委任状みたいなものらしいです。この地を誰々に任せると王様の銘がしてあるそうです。こんなの渡されてもこまりますね~。
チャンパ王国のこの頃の組織図だそうです。王様をトップにこういう体制で政治を行って来たそうです。
このあと、色々と変化がありますので、これを覚えておいてくださいね。
939年~1009年
石板には漢字が書かれていて、この頃のベトナム(チャンパ)は漢字を使っていたんですね。
佛教のブッダを祀っていたようです。これはレプリカだそうですが。
この頃のお金ばかりニホンのお金に近くならましたね。
残された書物もかなり綺麗に残っています。
1225~1400年頃の組織図
階層が増えて組織も大きくなりました。
この頃はモンゴルからの攻めがあったようです。年代的にチンギス・ハンが亡くなった後ですね。
戦闘も少し変わってきました。
道具も緻密になってきました。
ラーの鏡
もとい銅のドラム?ジャンみたいなものかな。
攻城戦ですね。守りを固めてみたいな。
鉄製の矢尻とか
ベトナムは石碑などが、亀の背中にあるそうです。何故かはわかりませんが。
亀の愛嬌がとっても良いです。苦痛ではなさそうです。
武器も徐々に大砲になってきました。
これもブッダかな?
説明してくれたけど忘れちゃった。7つの閻魔さんの苦痛?だったかな。5個しか残ってないそうです。
竹槍ぽいのを持ってるので前後間違えたかなと思いましたが、1789年とかかれているのであってました。
この頃には印刷技術もできたようです。
鉄砲と剣。
この頃の組織図。1802~1883年。
指揮系統がグチャグチャですね。この戦いでフランスに負けてフランスに占領されます。
こうやって王国が滅びます。
こうして西洋の文化も入ってきたようです。、螺鈿細工とかたくさん作られるようになったそうです。
ホント綺麗ですね。
この頃には紙幣も登場します。
国璽かな。金製の判子と本です。
フランスに占領された後の組織図。
要職は全員フランス人、王様は形だけトップですが、権限は何もなかったそうです。
そしてベトナム語が出来ます。漢字→フランス語→ベトナム語と変わった訳ですね。腑に落ちました。
なぜかガルーダ。ちょうどガルーダ・インドネシアがANAとの提携が切れたと発表があってすごいタイミングだった。2階のホールは色々な美術品が並んでました。
ベトナムの成り立ちとか、ベトナム語のルーツとか国の成り立ちがよくわかって、やっぱり此処にきて良かったなと思いました。
ホアロー刑務所 Di tích Nhà tù Hỏa Lò
結構ゆっくり見て回ったので、もう一つの博物館は行かずに、ホアロー刑務所に行きます。
ここはフランスが占領時に収容した刑務所で、ベトナム戦争時はアメリカ人捕虜とかを収容していたそうです。
こちらがチケットです。大人50,000ドン。
最初の部屋に厳重な扉が。刑務所だからですね。
ここでは日本語音声ガイドを借りました。2台で20万ドン!!でした。
日本語ガイドはわかりやすくてよいですが、アナウンスしている人が結構噛んだりして、そのままのろくおんなので、撮り直しすれば?って思ったのが何度か。
一般の囚人はこういう広間だったそうで、このはじに汲み取り式のトイレがあり、見つかるとやばいものはトイレ肥溜めに隠していたとか。
こちらの足枷は片側だけでトイレとかは外されていたので、比較的刑が軽かった人でしょうね。
牢獄は足枷が両足でした。
アーモンドの木。刑の軽い人は広場に出ることもあったらしく、ここがいこいの空間だったとガイドより。
これは脱走した下水道だそうです。
この狭い空間で抜け出せたそうです。それだけがりがりになっていたらからだそうで、どうせ切断するなら、上との2箇所だけで抜けれるじゃんと思ったのですが・・・
これは反対側。
ちなみに休憩スペースには充電用のコンセントがありました。こういうのは助かりますね。現代人向けの設備ですが(笑)
女性用の囚人は足枷もなく、比較的スペースも広めでした。
牢獄です。
足枷は外から外せるようになっており、足枷をするのは自分でやるんですね。
えっと、フランスだからかギロ●ンです。ちょっと生々し過ぎてそそくさと移動です。説明の資料も3倍速で見ました。
こちらもアーモンドの木です。紅葉するんですね。そういう意味だと四季を感じるのかもですね。ハノイは四季もありますので。
こちらが出口です。結構衝撃的なものもありましたが、ベトナムの歴史を感じるにはいい施設でした。
こちらは、当時からの塀です。もっと高いのかなと思いましたが、意外に低かったのですね。脱獄した人が多かったのかはわかりませんが。
音声ガイドで説明していたかもしれませんが、話が長かったので、結構飛ばしました。全部聞くと1時間以上あるかと。
ベトナム2日目の午前の部はここまで、このあとお昼ご飯を食べに行きます。
ベトナムの成り立ちとか、フランス植民地時代と結構ダークな世界でしたが、なんとなくベトナムの1割ぐらい理解できた感じがします。ベトナム軍事歴史博物館に行けなかったのは心残りなので、またハノイには来たいと思います。第2の台湾な感じがあって、しばらくリピートしそうなかんじです。そんな感じ。
最期までお読み戴きまして、ありがとうございます。