こんばんは、すきーやです。
バースデー週末旅で東北を回ってきました。
これまでのお話はこちらから。
カッパ淵
とおの物語の館の後はカッパ淵にいきます。
ナビを頼ると個人宅に着いてしまいました。個人宅の裏がカッパ淵なので間違いではないですが・・・
ぐるっと回ってカッパ淵にいきます。
川で釣りをしている人がいました。
ぱっと見、めちゃ怖いのですが、人では有りませんでした。思わず2度見してしまいましたが。
よく見ると何か釣り上げていました。
カッパですね!
こっちにカッパはいないそうです。
そしてカッパ淵に着きました。
近づくと引きずり込まれるので注意しないといけません。
河童にきゅうりのお供えです。
カッパの釣り竿が用意されていました。
ちゃんと餌のきゅうりが付いています。
よーし、釣ったるでぇー。
釣れないなぁ。釣れても困るけど・・・
よく見るとカッパ捕獲許可証が必要でした。やべぇ密漁だった。
ここには時々地元のガイドさんがいて色々と話を聞かせてくれるそうですが、今回はお会いしませんでした。
観光客らしい人から、カッパ叔父さんにあった?さっきあっちにいたけど?って言われましたが、会えませんでした。
お腹も空いたのでお昼ご飯にします。
お食事処 伝承園
次の見学予定がこの隣にある伝承園ですので、先にご飯を食べます。
売り切ればかりで残念です。
カッパ焼きはありました。かっぱなのでみどりにしました。
メニューはこんな感じ。観光地としてしてはこんなものですね。
そんなおなか空いて無かったので、おすすめの伝承園そばにしました。
舞茸の天ぷらの入った伝承園そば。出汁が美味しくて、舞茸の天ぷらも美味しくて、観光地の蕎麦にしてはとても美味しかった。
カッパ焼きです。
うーん、カッパ??
まあ、要するに大判焼きですね。
お店でゆっくりしすぎたので、先を急ぐことにしました。伝承園は外からちらっと見て出発です。
柳田國男が話を聞いていた民族学者の佐々木喜善の記念館もありました。こちらもパスですが。
次は平泉の中尊寺に向かいます。
金剛院前 坂の上駐車場
中尊寺の駐車場は下に停めるとかなり歩かされると言うことで、奥の駐車場に、向かいます。
500円ですが、その分のメリットはありますね。
こちらの駐車場からはこの階段を上がると本殿です。
この建物はトイレです。私が着いたときには、団体のバスが到着して、トイレ渋滞が発生していました。
中尊寺本堂
こちらが中尊寺本堂です。
手水舎ですが、これ手が届きません。
こちらは本堂に上がることができます。
こちらには比叡山延暦寺から分灯された、『不滅の法灯』が灯されています。
峯薬師堂
本堂から金色堂に向かう途中にあるのが、峯薬師堂ですが、あたりには『目』という文字が呪われているぐらいに有ります。
ここは目に御利益が有るということで、絵馬とかにも『目』って書かれていてちょっとヤバい感じです。
それと繋がりはわかりませんが、ペット用の御守りとかおみくじがたくさんありました。
猫用のお守りですが、絶対猫の事を考えて居ないですね。でかくて首輪とかに付けれないですよ。
中尊寺讃衡蔵
金色堂の入場券はこちらで購入します。
この建物はいわゆる宝物殿で、奥州藤原氏に関係する宝物3000点あまりを収蔵しているそうです。最後の部屋には金色堂の模型が設置されており、事前にポイントを見るのには良いですね。
お土産物もこちらで購入できます。
金色堂
中尊寺といえば金色堂です。
金色堂に来ずして中尊寺には何しに来たの?ってぐらい重要な所です。
当然中は撮影禁止です。
この建物は覆堂という、金色堂を覆っている建物です。そのためこの建物が金色堂ではありません。
中にガラス張り空間があり、そこに設置されています。
孔雀がデザインされた中央の須弥壇の中には、奥州藤原氏の初代清衡、向かって左の壇に二代基衡、右の壇に三代秀衡の御遺体と四代泰衡の首級が安置されています。血筋の明らかな、親子四代の御遺体の存在は世界にもほかに例がありません。
金色堂を出たところに松尾芭蕉の句碑があります。
『五月雨の降り残してや光堂』
うん、聞いたことがありますね。
中尊寺経蔵
経堂はいわゆる宝物殿です。入り口にあったのは近代になってから建てたもので、当時はこちらのお堂で保管していたようです。
それでも何百年と保存されてきたのですね。
松尾芭蕉像
句碑はありましたが、松尾芭蕉さんの銅像もあります。
芭蕉さんは奥の細道でここにきてどんな事を思ったのでしょうか。
旧覆堂
いまの金色堂の覆堂の前のものを移築したそうです。
この中に金色堂が収まっていたそうなので、やはりこじんまりとしていますね。
釈迦堂
通りすがりに釈迦堂がありました。中尊寺内には20近くのお堂があると聞いたことがあります。
奥の白山神社に能楽殿があります。
白山神社能舞台
ここの能楽堂は一度焼失したため、伊達慶邦公により再建されたものです。ここでは毎年能楽が奉納されているそうです。
この絵は凄い雰囲気がありますよね。
白山神社
ここの写真を取り損なっていますが、知恵の輪くぐりが有りました。ここは一年中設置されているそうです。
普通8の字で回ると思いますが、ここは1度通ればよいと書いてありました。
混雑対策なのか、そもそもそうなのかが分からなかったので、セオリー通り8の字でくぐりました。
干支の守護神社もありました。
ちゃんと馬にお参りしてきました。
中尊寺をあとにし、次の目的地に向かいます。平泉には義経ゆかりの地が沢山あります。
高舘義経堂
義経の最後の地が高舘義経堂です。
この地で衣川 (ころもがわ) の戦いがあったそうですが、私は詳しく知りませんでした。嫁さんからの請け売りです。
ここにも芭蕉の有名な句碑があります。
奥州高舘にて 『夏草や 兵共が 夢の跡』
この句は良く知っています。ここだったのか。というぐらい。
義経が戦ったのも、藤原氏が栄華を極めたのも、夢また夢。ただそこに夏草が生えるのみ。
栄華を極めても、一晩で衰退してしまう、そんな意味だったでしょうか。
来 三樹三郎の詩碑です。
詳しくはしりませんが、芭蕉の句と同じ様に平泉の衰退のことを言ってる感じです。
高館義経堂
義経最期の地です。右側に墓碑があります。
この日は時間切れでした。
往古両軍戦死者供養塔
衣川 (ころもがわ) の戦いで亡くなった死者を弔ったものだそうです。
高舘義経堂にいくため、車を駐車場に止めてあるいていると、ひっそりと石碑がかさあったので、調べた所、衣川の戦いで亡くなった方を弔ったものらしいです。
Google mapに掲載されてなかったので、登録申請しておきました。無事登録できたようです。
無量光院跡
高舘義経堂から車で5分ぐらいの所に無量光院跡があります。
奥州藤原氏三代秀衡公によって平等院鳳凰堂を真似て作ったのが、無量光院だそうです。
建物がなく水を張っているので、嫁さんが、ゴルフ場みたい。と言ってました。
グリーンやティーグランドがあって、ホントにゴルフ場みたいです。
もう少し整備するといいのね。と思った次第です。ここもブラタモリで来たところですね。
平泉はこんなところです。
この後はホテルに移動します。まだまだまだまだ続くみたいです。しばらくお付き合いください。
そんな感じ。
最期までお読み戴きましてありがとうございます。