こんばんは、すきーやです。
奈良の旅行を振り返りながら色々書いてきましたが、気付かなかったいろんな魅力がありますね。奈良県を甘く見てました。さすが1400年の歴史がある地域です。
前回にも書きましたが、明日香村は石舞台古墳と飛鳥寺に行ければ良かったのですが、帰りによった資料館のおじさんに、キトラ古墳は行くべきだよという言葉を信じて、アディッショナル・タイムになりました。
キトラ古墳
キトラ遺跡は1972年に近くの高松塚古墳が発見されて、キトラの辺りにも似たようなものがあるぞと言うことから調査が始まり1983年にフアイバースコープを使って石室の壁に玄武が見つかり、1998年には方向を変えれCCDで、青龍、白虎、天文図が描かれているのが見つかり、2001年にデジタルカメラで南壁の朱雀を捉えという非常に近年に発見されたものです。
駐車場は道路はさんだ反対側にあり、道路は事故防止のため横断禁止になっています。警備員さんが見張っていますので、地下の連絡通路を使うようにしましょう。
目の前に四神の館という施設がありますが、後にします。
地下道はこんな感じになっており、歴史年表がありますが、なんか統一感はありませんでした。
そのまま突き当たりは四神の館に入ります。キトラ古墳には右側の階段を上がります。
少し山に上がります。
キトラ古墳の解説があります。キトラ古墳が見つかる前に高松塚古墳が見つかり、対応方法がいろいろと出来たようで、古墳の元の場所は、石版は取り外し、代わりのもので補強し、埋め直ししているそうです。
この時代の色の付いた壁画は非常に貴重で、地中に埋められていたため風化もせずかなり保存状態が良かったようです。
キトラ古墳の出土品は定期的に四神の館で限定公開しているようです。
行った日も公開していましたが、予約でいっぱいだったようです。ざんねーん。
申し込みはこちらから。次回は2022年2月頃らしいです。
乾拓板というのがありました。
鉛筆でなぞると転写できるものですが、どれだけでかいのを用意しないとダメなんでしょうか・・・
A2サイズでも足りないかと・・・
これがキトラ古墳です。
上まで上がる気力はなかったのでここまで。遊歩道もなく、誰も上がらないので・・・
こんな感じに作られていたそうです。
木々に埋もれてても、こんな形で残ってるとなんかあるなって思いますよね。
キトラ古墳は天井に星座が画かれていたそうで、キトラ古墳の前は星座の広場になっています。
キトラ古墳壁画体験館 四神の館
資料館のおじさんにお勧めされた四神の館に入ります。ここは国営の施設です。
なんとなく北海道のウポポイ感がありました。
ここでも勾玉造りができます。他にも沢山ありましたが、時間がギリギリなので諦めました。
地階は撮影可です。1階の保存館は撮影不可です。
展示館の真ん中には四方の朱雀、白虎、玄武、青龍の壁画の映像と
天井には星座が描かれいます。
近くの高松塚古墳とキトラ古墳の違いとかの解説。キトラ古墳は他と違うそうです。
今回は白虎と天文図だったようです。
見れるとまた感動したかもですが、1400年まえの色の付いた絵画が残っているのって凄いですよね。
キトラ古墳の壁画はほぼ完璧な状態で保管出来ているようで、是非機会があれば現物を見て1400年の歴史を感じたいと思います。
キトラ古墳に行った勢いで高松塚古墳にも行くことにしました。
国営飛鳥歴史公園
ちょうど通り道に高松塚古墳に行く施設があったので、駐車場に止めてマップをみるとかなり山を登らないといけないようです。
駐車場は上側で高松塚古墳まで1キロ近く山を登る必要がありそうで、挫折しました。
しかしマップをよく見ると、古墳前駐車場と書かれた駐車場がありましたので行ってみます。
口コミには狭いとかありましたが、とりあえず行ってみます。
古墳前駐車場
こんな道ですので大型車はしんどいかもです。
駐車場の入り口。フェラーリとかで来ると擦りますね。
駐車料金は100円です。ちゃんと払いましたよ。
ここから、歩きます。道は狭いので雨降りとかは滑りやすくて注意が必要です。
正面が高松塚古墳です。150mぐらいですね。めちゃ近いです。
100円の価値はありますね。
大きい車はちょっとしんどいかも。
高松塚古墳
では高松塚古墳に向かいます。更に上に上がると文武天皇陵があります。
これが高松塚古墳です。
この古墳は地元の人が生姜の保管場所として土を掘っていたら、この古墳を見つけたそうです。
キトラ古墳と同じ様な作りですね。
そろそろ日が落ちそうです。急がなきゃ。
高松塚壁画館
高松塚古墳のすぐしたに、高松塚壁画館があります。高松塚古墳の発見のエピソードとか、模写の事が触れられています。
高松塚古墳で発見された壁画で有名なものがこの女性が描かれたもの。教科書なんかで見たことがあるかと思います。地中にあったため、保存状態がよく、当時の様子が伺える壁画になっています。この壁画がそんなに凄いものだったというのは今日まで知らなかったです。
嫁さんから聞いた話ですが、これが見つかった時、時間と共に劣化していくため、日本画家の平山郁夫さんらに模写をさせて、それをここで展示しているらしいです。
その模写も大変だったらしく、一日何時間という制約の中で狭いせきしつに籠もって湿気などを嫌って酸素ボンベ?を使ったとかなんとか。
こちらはキトラ古墳のように取り出して保管したわけではなく、そのまま埋め戻して保管したそうで、カビが広まったり、カビを除去するために使った消毒液?かなにかで、色落ちしたりと、当時の状態からはかなり悪口なっているらしいです。
高松塚古墳の失敗がキトラ古墳に生かされているのでしょうか。
ここには模写と模写を修復したものと2種類展示されています。中は撮影禁止のため写真はありません。
こちらも定期的に出土品などの展示を行っているようです。
文武天皇 檜隈安古岡上陵
高松塚古墳のすぐ近くに文武天皇の天皇陵があるというので立ち寄ってみました。
ここにおさめられているようですね。
文武天皇は701年、日本史で勉強した大宝律令をつくった天皇です。
ここから『倭国』と呼ばれた国から『日本国』と表記されるようになったとか(諸説あり)
日本の始まりの天皇のお墓なんですね。
当然宮内庁が管理しており立ち入る事はできません。
マップを見ると南側に拝所とありましたので、行ってみます。当然立ち入ることはできませんが、こちらでお祈りする事はできます。
ここまでは人が来ることは少なそうですが、ひっそりと祀られていました。
宮内庁の看板ですね。
高松塚古墳駐車場
文武天皇陵へはこれまた近くに駐車場があります。高松塚古墳の上側ですので、ここに止めて高松塚古墳にいくもよしです。
駐車料金は100円です。ちゃんと払いましょう。近くに展望台・東屋もあります。
日も暮れましたので、愛知に帰ります。
明日香村の旅はこれで終わりです。
終わりと言いたい所ですが、奈良で食べたものシリーズに続きます。ホント長くなって申し訳ありません。そんな感じ。
最後までお読み戴きましてありがとうございます。