こんばんは、すきーやです。
2月に長野県の野沢温泉にスキーに行ってきました。これまでのお話はこちらから。
スキーの話はもう終わってますが・・・
松代大本営跡
川中島の近くには真田信之が明治維新まで治めていた松代があります。
またこの松代には太平洋戦争時代の最終砦となる予定だった松代大本営の遺構があります。
太平洋戦争の終わりが近づきいよいよ本土決戦となった場合の大本営として、ここ長野県松代の山の中に造っていました。
最終的に使用しないまま終戦を迎えることになりますが、この遺構は平成元年より一般公開されています。私が長野にいた頃は年に何日か公開するといった感じだったと記憶していますが、今は休館日以外はいつでも見学できるそうです。
ということで、念願の松代大本営の見学に向かいます。
松代代官町 駐車場 (象山東駐車場)
駐車場は少し離れた所にあります。冬の長野の平日にやっているか心配でしたので、まずは受付に行って入れるのを確認してから駐車場に向かいました。
休館日は毎月第3火曜日で営業時間は9時~16時です。
駐車場は結構広いです。観光シーズンはどうなるかよくわかりません。
位置関係はこんな感じです。最短ルートは通れないので、ぐるっと回る感じです。
象山神社との中間辺りにお昼を食べた『しんこきゅう』があります。
山寺常山邸
駐車場にはトイレがありませんが、最寄りはこちらにあります。
常山さんの居宅跡で当時の資料などが保管展示されています。入場は無料です。
武士→兵学者→教育者となった方のようです。
国指定の名勝地となっています。
かなり大きな池があります。
maps.app.goo.gl
象山駐車場
観光地あるあるですが、土地もっている方が無人の有料駐車場をやっています。
無料駐車場から10分ほど歩くので、近い方が良い方は重宝しますね。とは言っても、ここからも少し距離があります。
松代象山地下壕
今日の目的地その2です。
Google mapを見ていて、見学コースがいつでも行けるということで、ここに行くことにしました。
実家が篠ノ井の同僚は、川中島古戦場は知ってたけど、ここは知らなかったと言ってましたが、そんなレベルなの?って気がしますが、私は昔から知ってました。
右の建物が受付です。
第3火曜日が定休日です。
洞内はヘルメット着用です。使用後はこうやつて置いておくように言われます。
コーリャンの実。当時はこれを食べて作業していたそうです。
こんな感じで実がつくそうです。
こちらはレンギョウ。
レンギョウというと、2011年公開の映画『コンテイジョン』を思い出します。
元々はSARSからなんでしょうが、今回の新型コロナウィスルを予見したような映画でパニック→WHO→ワクチンの流れそのままに。映画ではワクチンで収束となりましたが、現実はそう簡単じゃないですね。
松代象山地下壕は総延長10キロメートル以上あるそうですが、見学できるのは500メートル程度です。それでも結構な範囲になりますね。
それでは中に入ります。
足の不自由な方は車椅子がありますが、一番奥まではかなり無理があります。
こちらが入り口。常時鍵を掛けており、受付をすると鍵をあけて入るような運用です。
全員帰ると施錠といった感じ。
私たちが入るタイミングは誰も居ないので、あけてもらったところです。
それでは中へ。最初の所は下り坂です。
スタートは少し中腰にならないと頭を打ちそうです。
一つ目の曲がり角
入り口を入って突き当たりです。幅3mぐらい高さも3mぐらいあります。
曲がったところから地図の下向きの方向を撮影したもの。かなりの距離に感じます。250mぐらいでしょうか。
地面はかなり荒れていますので、車椅子はかなりしんどいと思います。またヒールなども歩きにくいと思いますので、トレッキングシューズとかの方が良いです。
気温は5℃ですが、外はもっと寒いので中の方が快適だったりします。夏は涼しいのでしょうね。
所々鉄骨で補強されているところがあります。崩れやすい所とかあるようですね。
崩れないように木を詰めて補強されています。
岩盤だけの場所もかなりあります。
崩れたらどうなるのでしょうか?
横穴は高さも幅も少し狭いです。
岩につきささったままの削岩機ロッド
いきなり通路の真ん中に柱です。
こちらが、ロッドが刺さったままのもの。作業中に折れたんでしょうね。
という事のようです。
横穴には入れないないように鍵が掛かっています。
でも上部は空いてたりするので、完璧ではないですね。人数チェックしているので、万が一戻ってこないと、捜索隊が出そうですね。
二つ目の曲がり角
上のマップの下側は外に貫通しているようです。下側は民家があるようなので、多分入れないようになっているかと思いますが。
他の所は全て真っ暗ですので、閉鎖されている感じですね。万が一崩落とかで戻れなくなった時にはここから出れるようになっているのかな。
木片
電気配線用の木片跡のようです。
非常用に置かれている電話
トロッコの枕木の跡
マップの点線は以前トロッコが走っていたと思われるレールの跡が残っているところです。
よく見るとでこぼこになっている、枕木の跡がわかります。
非公開部分に書かれた文字等の写真
労働者が書いたんでしょうね。多分もっとありそうな気もしますが、消されたりしたのかな。
測点跡
縦横の通路を通すためにちゃんと測量ぽいことをしたんでしょうか。
そしてここが終点です。結構あるかなと思いましたが、色々と見るところもあり、あっという間でした。片道20分ぐらいでした。帰りは戻るだけですので10分ぐらいです。
そして出口が見えて来ました。
この辺まで来ると急に冷えてきます。外の方がはるかに寒いですからね。
昔テレビで『川口浩探検隊』ってのがありましたが、ぷち探検隊って感じでした。
動かないサソリや毒蜘とか白骨は転がっていませんが。
松代大本営地下壕の感想
ここ松代大本営は2つの側面があります。
一つ目は戦争遺構という側面。終戦1年前から本土決戦に備えて、松代の山の中に大本営を移転しようと、突貫工事で地下壕を掘ったこと。そこには自主的や労働者として、捕虜などの動員で作り上げたこと。
岩盤にドリルで穴をあけ、ダイナマイトで破壊しながら掘り進めるため、危険の伴う作業には朝鮮人が充てられたとか。
戦争時代の考え方を現代に当てはめるのは、違うと思っていますので、それをどーとか言うつもりはありせん。朝鮮人ばかりが取り立たされますが、日本人で亡くなった人も当然いたでしょう。
そして、この遺構を公開したのが、平成になってから。公開も朝鮮人がどーのこーのと揉めたそうですが、まあその辺が長野らしいです。
そして地下壕自体のPR。遺構ですから、観光資源として使えば良いと思うのですが、そんな事をせず何となくひっそりと公開している気がします。地元の人も知らないとか。川中島合戦は派手にPRして、大本営はひっそりと。
川中島合戦ではもっと多くの人が無くなってるんですよね。まあ比べること自体があれですが。
そこは割り切って観光資源としてもっとPRすればいいんじゃないの?って気がします。
トロッコが走っていたのだから、トロッコ走らせれば良いのに。
そしてもっと解説すればと思います。なぜ此処が選ばれたのか、掘った穴をそのまま見せるのではなく、有料でも良いので池島炭坑のようにちゃんと説明もして、ちゃんとガイドも入れてとかすると良いのにな。って思ってました。
そんな風にするとどっかの団体とかが茶々いれてくるのかな。
そんな風に思った訳です。
もうひとつの歴史館・松代展示室
大本営の説明の施設のようですが、冬季は閉鎖してました。残念。こっちでは解説が、あるようですね。
まあ、一度着たかったので、30年来の希望が叶いました。そんな感じ。
最後までお読み戴きましてありがとうございます。