こんばんは、すきーやです。
今週の猫たち
さすがに姉妹ですね。同じ姿勢で
同じタイミングで伸びをしました。
大あくび。舌のさきっちょがぺろんとなってて可愛い。
はるは少しかみ癖があるんで、指を突っ込んで止めさせるようにしてます。それでもガジガジしてくるのですが。
さて、お盆休みは山陰の実家に帰ってきました。
道中、若狭湾経由なので観光もしてきました。
これまでのお話はこちらから。
舞鶴引揚記念館
先日終戦記念日で戦争に関わるいろんな催し物がありましたね。
舞鶴は戦時に捕虜として捕らえられていた人たちの日本の引き揚げ拠点の一つになっていました。
引き揚げ港はほかに長崎の浦頭港、博多港、浦賀港、山口の仙崎港などがあり、一番最後まで受け入れをいたのが舞鶴港です。
終戦記念日も近いということで、舞鶴引揚記念館に行ってきました(たまたま)
営業時間は9時~17時で、入場料は大人400円です。
ユネスコ世界記憶遺産
舞鶴引揚記念館にある資料はユネスコ世界記憶遺産として登録されています。
こちらが登録証明書だそうです。
エントランスには当時の写真でお出迎えです。
資料室の入口には召集令状(赤紙)がありました。色もあせているのか、赤くないですが。
こんな感じの赤紙です。こんなの来るとドキッとしますね。
舞鶴の歴史年表。戦前から終戦、引き揚げからの時代のながれです。
数々の資料。これらがユネスコ世界記憶遺産に認められました。
白樺の皮に日記を書き記したもので、所持品検査などにも引っかからず、日本に持ち帰ることができた日記だそうです。これも世界記憶遺産資料。
家族への手紙は許されていたようです。カタカタで書くことや、抑留生活などは検閲で引っかかるらしいですが。これらの手紙も世界記憶遺産資料です。
富国徴兵。
ラーゲリでの生活
資料室は前半は抑留中の生活が中心です。
シベリアの抑留施設に入れられて、労働とかに駆り出されていたそうで、逃げ出さないために塀で囲って監視塔から監視しつつですが、冬は逃げる気も起きないような過酷な環境だったらしく、その再現に色々と展示されてました。
収容所の捕虜のいる場所はラーゲリと呼ばれるそうです。ラーゲリの生活環境を再現してましたが、夜ここに来ると怖そうです。
右の兵は、ロシア兵の監視役です。
食事ははかりで分量を計ってみんな均等に分けていたそうです。この辺はとても日本人的ですね。
ラーゲリでの生活の解説
実際のラーゲリ体験もできます。
とても寒そうです。シベリアはマイナス25度とかですから。年中富士山の山頂にいるようなものですね。
電気はありませんから、薪ストーブなんですよね。
ラーゲリを再現さています。ちゃんとこの部屋はエアコンが強めにしており、入った瞬間は寒さを感じました。
ここも夜にひとりでくると怖いですね。
外と中の様子。窓には吹雪の様子がCGで表現されていました。
こんな環境に何年もいたんですよね。
現代はとても良い時代だと感じます。
こちらは戦後に実際にラーゲリを訪問し持ち帰った塀の木片だそうです。
引揚港としての舞鶴港
戦争終結後、世界各地に出兵していた兵隊が日本に引き揚げてくるに際し、貨物船、旅客船などをチャーターし各地からピストン輸送を行いました。何百万人もの人が引き揚げてくるため、舞鶴などの引き揚げ港には受け入れ施設などなどが用意され町をあげての体制が作られました。
引き揚げ桟橋(右上)が整備され、その横には引き揚げ者の宿泊施設が用意されました。
この宿泊施設の跡地は、今は材木工場となっています。
舞鶴は引き揚げ者を街を上げての歓迎ムードです。
引き揚げ者の桟橋には歓迎ゲートも用意されました。
一時対流者のために、娯楽など催されていたようです。
こちらが引き揚げに利用された船舶の模型です。貨物船あり、旅客船あり、客船などなど。
舞鶴に入港した引き揚げ船のリストです。うらもあります。
また、舞鶴から日本各地への北海道を含め列車が走っていたようです。
舞鶴だけでものべ66万人ですから、結構な規模です。日本各地を周りながら列車を走らせた国鉄も凄いですね。
岸壁の母 端野いせ
舞鶴の引き揚げで有名なのが『岸壁の母』。私の小さい頃にテレビでも頻繁に流れてて、二葉百合子さんが、独特の歌い方(浪曲調?)で歌っていたので印象に残っています。
『は~はは来まし~たぁ~、きょ~も~き~たぁ~』
作詞家の藤田まさとさんが、端野いせさんから聞いた話から作詞したものを作品に仕上げたらしいそうです。
いま聴いても心に染み渡りますね。
その後、映画とかドラマにもなったらしいです。
企画展示室
企画展示室では抑留生活の話をおもしろ可笑しくいろはカルタにしたものが展示されていました。
現地で作ったのではなく、作成したのは最近?でしょうか。
イ イの一番にみな刈られ
ロ ロスキー・マダムは5人力
引揚記念館を少し先に行くと工場がありますが、ここが宿泊施設などがあった跡地で、いまはベニヤ板の工場があります
車で5分程で桟橋に行けます。
引き揚げ桟橋(平桟橋)
こちらが引き揚げ船を付けてた桟橋です。『たいら桟橋』と言うそうです。
この左側に数台留めれる駐車場があります。
当時の写真ですね。
ここが桟橋。実際はこの3倍だったそうです。当然手すりはありません。
語り部の鐘です。私は3回鳴らしました。
召霊の碑
なにか突起物がたくさんあるので、船の係留する所かなと調べたら、以前貯木場だった時の設備らしい。
パノラマ撮影
舞鶴クレインブリッジです。
意外に長くなった。舞鶴編まだまた続きます。
そんな感じ。
最後までお読み戴きましてありがとうございます。